全く新しい畜産の提案。
それを、人生を懸けてやっていく。
僕がどんな人間か、興味のある人だけ読み進めてほしい。
正直、僕という人間はどうでもいい。
やろうとしていることに賛同してくれたら、それだけでとても嬉しい。
何がしたいのか。何故したいのか。
具体的には、改めて別のページで共有させていただく。
佐藤健太、昭和58年生まれ。
北海道登別市で育つ。
親から、幸せに生きる才能を授かる。
酪農学園大学で獣医学を学ぶ。
学生時代より、牛飼いに憧れを持つ。
大学卒業後は興部家畜診療所に臨床獣医師として勤務。
理想と現実の差を埋められない無力感や、むしろ理想と正反対の嫌な未来を助長させている感に加え、猛烈に暖かい地域に住みたくなり、3人の子ども(1人は生後2ヶ月の乳飲み子)と共に、沖縄に移住。
県の臨時職員として半年間奉職後、ハンバーガー屋を開業。
畜産の問題には一旦蓋をして、思いついたことをやってみることにする。
過労で倒れた程一生懸命働き、第1回沖縄ハンバーガーフェスタで初代グランプリを受賞。
5年後、黒字で事業譲渡。
その年、また急に思いついて宅建の資格を取得し、宅建業の開業準備をしながら、ちょうど生まれた4人目の子どもの育児休暇と称し、事業譲渡で得たお金を取り崩して2年ほど仕事をしないで生活。(人生で最ものんびり幸せな2年間だったと後に回想)
宅建業の開業準備がやっと整った頃にはお金が底を尽き、そこで初めてこれはまずいとなる。
一獲千金を夢見るという下衆な考えで完全歩合制の個人営業の仕事を始める。
その後、様々な事情が重なり愛知県に移住。
扱うものは変わったものの、営業の仕事は続ける。
馬の飼えそうな土地に引っ越そうとして、色んな土地を見て回る中、岐阜県飛騨市に運命を感じて移住を決断。
60万円の古民家をDIYでリフォームし、住み始める。(※まだ馬は飼っていません)
移住翌年のゴールデンウィークに犬の散歩中、初めて通った林を抜けると、突然目の前に広大な草原が出現し、ここで牛を飼いたいという強い衝動を感じる。
後にその草原はその地域の所有する果樹園跡地の耕作放棄地と判明。
当初はここに、自分だけの理想の牧場を作ろうと考えた。
しかし、学生時代の「日本の畜産をより良くしたい」という思いや、北海道獣医時代に覚えた強い憤りを思い出す。
山地酪農家、中洞正氏との新たな出会いや、書籍から得た人生哲学の影響を受け、この命の、最も正しい使い方、満足度の高い選択として、日本に新たな形の畜産を拡げ、「牛を好きで牛飼いをやりたい人が、牛を好きなまま牛飼いが出来る世の中」にしたいと思うようになる。
それは、牛にとっても、関わる人にとっても、消費者にとっても素晴らしいことだと思う。
誰も巻き込まず、1つの牧場としてやっていくのでも大変なのに、日本の畜産を変えるのはその何倍も大変だと思う。
でも、僕は、だれかがこの現状を大きく変えるとすれば、牧場主で、獣医で、経営者で、料理人で、営業マンで、宅建士な、僕にしかできないかもしれないと思った。
それは、ただの思い上がりかもしれない。
きっとそうだ。
それでもいい。
世の中、たまには本気で未来の光を信じる馬鹿も必要だろう。
僕が現状を変えられず、殺してきた牛達。
牛が好きで畜産の世界に足を踏み入れたのに、幻滅して離れていく若者。
そろそろ、違う道が開けてもいいんじゃないか。
先人達が命を懸けて築いてきた。
全てを投げ打って生きてきた。
その思いを受け、僕はそれを拡げる役を担おうと思う。
グラスフェッドミルク、グラスフェッドビーフ、アニマルウェルフェア、エシカル消費、SDG’s
かつてない強い、追い風が吹いている。
今こそ、新しい畜産を、規模の上でも形にしていける。
日本中で、幸せそうな牛と、幸せそうな牛飼い。
本当に満足できる生産品。
それを当たり前にするのが、僕の仕事。
僕は、ただのきっかけに過ぎない。
変えるのはみんなの力だ。
ツキノワファームを応援してくれれば、きっと変えられる。
是非、ここから、日本の畜産に新たな風が吹くのを、見届けてほしい。


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